あったこと、感じたこと、考えたこと

ここはどこ、私は誰。君は何、僕はどこにいくの。あるいは全ては実用の為に。

自分をいかにして伸ばすか。あるいは、トップダウンかボトムアップか

ブログというのは難しい。

僕みたいな飽き性の人間には、「今、書きたい」という思いが生じた瞬間に書き上げないとすぐに書く気をなくてしまうんだ。

 

だから今も「書きたい」という意思が少し出てきたからこうやってはてなブログを久しぶりに開いてみたわけだ。

 

さて、このブログが日の目を見ることはあるのだろうか。

 

さて、本題。

 

最近私は自分をどのように成長させて行くべきか悩んでいた。

1)自分の理想とする像から演繹する方法

2)自分の素性に合わせボトムアップ式で伸ばしてく方法

 

私は無意識に1)を選択してたのだが、思い返せばそれってあまり筋のいい方法じゃなさそうだなと思えてきた。

確かに1)は自分の憧れる像に向かって直進して行くもので、それ自体はすごく有効そう。だけど、その理想像になった際にそれは

 

結論から言うと、「自分の素性にあった中で理想像を見つけ、それを伸ばして行くべきである」と言うのが僕の主張。単にこれかっこよさそう、憧れるを目標とすると一時の青春としては楽しい物語だが、現実としてそれはあまり幸福ではなさそう。なぜなら、自分の素性を考慮に入れない理想像はかなりの確率でその理想像には到達しないから。

だから、我々のやるべきことは、

 

1)自分の素性を知る。

  ・自分の性格は?(ADHD気味か?)

  ・自分が何に楽しいと思うか。

  ・認知特性はどうだろう?(視覚優位か?言語優位か?)

  ・体力はあるか?

  ・ストレスに強いか?

  ・コミュニケーションを問題なく取れるか?

  ・etc

2)自分の素性を伸ばしていった極地には誰がいるだろうか想像する。

  ・自分の得意なことを究極まで極めたらどう言う状態だろう?

  ・自分が究極まで楽しいと思えることは何だろう。

  ・自分の行動と心を一致させながら仕事をするにはどうしたら良いだろうか?

 

なのだ。

残念ながら、今の僕はどれもできていない。非常にだらしがない。惰性で仕事をしている状態だ。俺は、こんな自分が嫌だ。絶対に嫌だ。

だから変わろう。

また、心と行動が一致する状態を目指して。

 

 

コラムADHD

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内省的な思考と外部の情報を処理する思考は対極にある。内省的な思考は自分の過去の体験、感情を思い起こしながら現場とのヒモ付きを見つけて行く作業だが、処理の思考は現実の状態をフォーマットに矯正して行くイメージだ。

内省的な思考は現実の再定義にほど近い。ある概念に対して関連する事実、経験を記憶から掘り返し、そこから新たにその概念が意味することを再構築するのだ。多分、独自の考えを持つ人はこの再構築を日常で常に行っている。

じゃあ、この日常の再定義を精度よく行うにはどうしたらいいだろう。これは、①こういう状況下で②どういう問題が生じて③それに対する解決策はこうで④その結果その問題は解決した/しない⑤「しない」場合その原因には以下が考えられる。

を毎日検証する必要がある。正直最近サボっていた気がする。

状態、やったこと、効果の3点を常に整理する習慣をつけないといけない。

僕は人よりも頭の回転が遅いのだから、そういう状況とインプットとアウトプットの3点の関係をうまく抽象化した「精度の良いフレームワーク」を作る必要がある。でも、それって大学時代と結局一緒だね。

私は認識で勝負するしかないのに、自力で勝負を仕掛けようとするのは愚の骨頂だよな。

 

※僕にとって重要な課題は、

①再構築する時間をいつ取るのか。

②再構築をどのような形式で行うか。

の2点である。

①に関するアンサーは「就労後」もしくは「早朝」である。

②に関しては、日々の日報で。また一週間に一度はこうしてブログに整理してアップする方が良いだろう。

ああ、思う存分書くのは気持ちがいいなぁ。

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※コラムADHDとは

ADHD気味の筆者の頭は常に情報が飛び回っている。

なので、突然脈絡のない情報が頭を想起する。そしてそれを成仏させないと話を先に進められないのである。コラムADHDは筆者の思考の寄り道を文章化したものである。