いい仕事
「とにかくいい仕事をすることに集中してほしい。」
私が数ヶ月前、副社長に言われた言葉だ。
この言葉を聞いたとき、なんだこんなこと当たり前じゃないかと思ったし適当に聞き流していた。
だが、最近になってこの言葉の意味を噛み締める機会が続いている。
いい仕事とはなんだろう。
・費用対効果が高い仕事
・自分が満足できる仕事
・他社から認められる仕事
・会社や社会にインパクトをもたらす仕事
いろいろ見解はあるだろう。
だけど、私にとっていい仕事は、それが私自身であると胸をはって主張できる仕事のことだと思う。
上記であげたものも、それぞれ要素として入っているが、
その仕事が、私が今ここに生きている理由、自分を肯定できる理由、自分が何者であるかを他者に説明できるものであると思っている。
その意味で言えば、私は全然いい仕事ができていない。それは今までの人生の中でもそうだ。
もちろん、他人よりも努力できた部分はあったが、だせた結果は人並みのものだ。そう単にボトムが低かったというだけのことなのだ。
私は、全然いい仕事ができていない。
私は、自分の存在理由がそこにあるような仕事がしたい。私は自分の命に価値があると納得したい。
私は、今の自分に納得できない。満足できない。
私は、自分自身を肯定したい。
だから、私はいい仕事をできるようになるしかない。
いい仕事の条件ってなんなんだろう。実は、今まで自分のアウトプットが他人に評価されたことは、僕の人生の中でないのかもしれない。
僕の今までの人生ってなんだったのか、私の存在って何の意味があったのか。
今までの自分を越境するのが自分自身だろう!!
まったく、ブログとしてまったく体をなしていないな。
でもいいんだ。普段封殺される感情をこの場で吐き出せばいい。
いい仕事は結果にこだわる仕事だろう。
結果を出すにはプロセスを徹底的にこだわる必要がある。
そしてプロセスをひとつひとつ完璧にやり終える必要がある。
私の仕事を完璧にやり終えるのに必要なのが、他人の力だ。認識だ。
自分ひとりでは全てのことをやりきるのにまったく何も足りない。だから人は協力するのだ。だが、あくまで仕事の主体は自分だ。
自分が、他人を使って品質を保障するのだ。
いい仕事の用件
・明確なゴールがある。
・確実にゴールを達成可能なプロセスがある。
・プロセスの炊く用を完璧に達成する。
シンプルだ。この世界に、絶対とか完璧とかそんなものは存在しない。しっている。しっているが、
究極を目指し続けるのが人間というものだ。現実を告げるのは結果だ。
そして結果は、何かを目指したあとにしかわからない。
私は究極の結果を目指しているだろうか。
私は仕事のひとつひとつに究極の魂、をこめることを望む。
人に嘲笑される?馬鹿にされる?そんなことも分からないのと軽蔑される?
だからなんだ?
それと、私がいい仕事するのと何の関係があるんだ?
私が将来的に与える周りへの影響と何の関係があるんだ?
一ミリも関係ない。
何も関係ない。
私はただ、いい仕事をすることのみを追求する。
いつか、私が自分の命に意味があったと思える日まで。