あったこと、感じたこと、考えたこと

ここはどこ、私は誰。君は何、僕はどこにいくの。あるいは全ては実用の為に。

成長は何か?それはすなわち環境への適応である。

最初から題名で結論をいってしまいましたが、つまりそういうことです。

 

僕らが日々「成長」と呼んでいるのは、環境への適応にほかなりません。

 

例えばマックで働いているバイトが感じる「成長」とは、

 

・レジが早く打てるようになった

ハンバーガーが素早く丁寧に作れるようになった

・お客さんに喜ばれる接客が出来るようになった

・バイト内でリーダーシップを発揮出来るようになった...etc..

 

あるわけですよ。

たしかにこれって何かを上手く出来るようになったから「成長」なんだけど、その実この「成長」ってなんなのか?

 

これはね、「環境の要請」に対する適応なんですよ。

つまり、

・レジが早く打てるように「要請」されたから、それが出来るように「成長した」

ハンバーガーが素早く丁寧に作れるよう「要請された」から、それが出来るように「成長」した

・お客さんに喜ばれる接客が出来るようになるよう「要請された」から、それが出来るようになった

・バイト内でリーダーシップを発揮出来るようになるように「要請されたから」...etc..

 

ね?

じゃあ僕らはその要請に従う必要があるのか?それは、その要請をこなす事が、その環境にいる条件だからだ。言い換えると、その要請をこなさなければ、その環境では「生き残れないから」ですよ。仕事で使えない奴、みんな嫌いでしょ?

 

環境からの要件に答えることによってその環境での生存を許可される。だから、その要件に答えるように自己を環境に適応させていくことを、僕らは「成長」と呼ぶ。

 

 

っていうことは、適応すべき環境が過酷であればあるほど「成長」が大きくなるのは直感通りだよね。

 

当然、環境から要請されるものも大きくハードになるわけだから、それに適応するにはかなりの労力を必要とする。そして、適応の過程で「成長」する。

 

実はこの原理って進化論の自然選択説にのっとったものだ。

自然選択説っていうのは、環境に適応した遺伝子(生存に適した遺伝子)のみが生き残り、子孫を残す。そしてその適応に適した遺伝子が強化される形で後々の後継者に受け継がれる。

 

で、その中で面白いのが、進化、成長とは常に環境とのインタラクションの中でおこっていることだ。

 

例えば、ゴキブリを食べるネズミがいたとする。

ある時から、ネズミの環境への適応のスピードが早まり、より効率的にゴキブリをみつけ補食出来るようになったとする。すると、次におこるのは、ネズミに捕まりやすいゴキブリが全て補食され、ネズミに捕まりにくい遺伝子をもつゴキブリ(例えば空を飛べるようになるとか)の複製が始まる。

 

ここでは、一方の進化が、もう一方の進化を促進したという関係がある。

 

つまり、環境の変化にともなう自己の変化、という関係は人間世界でも自然でも一緒なのだ。

 

この世界は、本質的に自然選択的な空間だ。

 

ただ、その世界の中で注意しなければいけないのは、人工選択された存在になることだ。

 

つまり、家畜である。人間の手によってうまれ、人間の役に立つように特化した存在だ。これらの動物は当然このまま自然に話したら死滅する運命にあるだろう。

 

社会において自然とは市場だ

 

君は、自然とのインタラクションの中でいきているだろうか?それとも、家畜となっているだろうか?

 

僕らのいる世界は、家畜がいつ野放しにされても仕方が無い世界だと僕は思う。

 

おわり