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あったこと、感じたこと、考えたこと

ここはどこ、私は誰。君は何、僕はどこにいくの。あるいは全ては実用の為に。

僕という存在は、結局のところ何なのか?あるいはその存在としての限界

こんにちは、

僕はマジでこじれた青年なので、やっぱり自分の存在って結局なんなのかって凄く意識が向きます。昔の方が向いていたけどね、特に大学1,2年なんかとかは最悪笑

最近は随分おとなしくなったと思いますけど。ちょっとした寂しさももちつつ。

でも今回は結局の所僕ってなんなんだってことを考えたので、ブログにまとめておくとします。誰も閲覧者のいないブログを書き続けるってちょっとした寂しさのようなものがありますが。宇宙の大空に、飛行機を飛ばしているみたいな気分です。

 

では本題、ってか結論なんだけど、

<僕は「行為」によって規定される。>

 

以上ですね。もういいやって方、ばいばい。

 

クソ一般的な感じになりましたね。でも考えたらこれしか出てこなかった。

僕とか、自分とか考えるときって、最初はこの苦しんだり喜んだり凹んだりしている自分を想定しがちだし(僕も最初はそうだったんだけど)それ自体が自己のように感じるんだけど、それって違うなって思うようになりました。

 

それらは結局の所、「生存の為の機能」です。はい

しってます、僕らがこんなにも命を感じる感情だって、もとはといえば生存の為の機能です。恐怖は危険を知らせます。喜びは仲間とのコミュニケーションに役立ちます。イライラは自分が「不利」な状況におかれていることを、同情は社会的動物としての人間に役立ちます。感情は「僕の生存の為のセンサー」です。それ以上でもそれ以外でもありません。

 

はい、この心もそうですけど、この身体もそうです。

肺も、心臓も、大腸も小腸も、細胞も免疫系も何もかも、「僕の生存の為の機能」です。「僕」という存在を成り立たせる為の存在です。

 

え、じゃあその集まりが人間ないし、「僕」の存在を規定しているのじゃないの?って思うよね。もちろんそれもそうだと思うんだよね。たださ、じゃあ、「僕」ってなんなんだよって話じゃないかな。

 

心臓には身体中に血を送るという「機能」によって規定されているよね。

肺は空気中から酸素を吸い取って二酸化炭素を吐き出すという「機能」によって規定されているよね。

大腸は?小腸は?感情は?

 

考えていくと、全てその「機能」によって規定されているわけ。

 

それじゃあ僕は????

心も身体も、それ自体が「僕」なのではなくただの「機能」なのだとしたら、「僕」とは??

 

もう一回結論に戻るね。

<僕は「行為」によって規定される>

ちょっと便宜上言い換えるね。

 

<僕は「機能」によって規定される>

 

この、最表面にいる「僕」。身体や心のセンサーを従属させている「僕」の機能は、規定されていない??

 

そう規定されていない。この「僕ら」に機能はついていないんだ。

じゃあ「規定されていない僕」って何なんだと。

 

なんなんだ。

 

無なのか?この僕は無でしかないのか?

 

 

いやいや、そんな事はない。ちょっと引っ掛けたけど僕らは既に「機能」を果たしている。「行為」といってもいいけどね。

 

僕は、マックのポテトSを購入して食べる事によって規定される。

僕は、痴漢をして捕まって3ヶ月拘留されること、によって規定される。

僕は、iphoneを作り上げ、世を大きく動かしたこと、によって規定される。

僕は、コップ一杯の水の中に指をいれることによって生じた波紋、によって規定される。

僕は、僕は、、、、、、

 

<僕は「行為」によって規定される>

 

言い換えると、

<自分は、自分の「行為」を通して見いだされた「機能」が、世界にどのような「変化」をもたらしたかによって規定される。>

 

僕は、人を3人殺した、ことによって規定される。(例示です)

 

僕の存在規定はこのようにしてなされる。

 

ゆえにね、ゆえにだよ。「考えてばかりいないで動け」ってんだ。

もちろん、もちろん、考えるっていうのも行為だよ。

 

ただね、知識や認識はそのままだと世界に「変化」をもたらすものではないんだ。

 

君が、もし自己規定に興味があるなら、君はその知識や認識を「行為」に反映させる必要がある。知識や認識は「行為」に従属されている必要がある。

 

知識や認識は、そのままでは何もないんだよ実は。

 

うん。そういうこと。

 

ただし、その「行為」を「機能」と認定するのは他人の仕事なの。

僕らはどんなに虚しくても他の人間の承認が必要なの。僕が、自己規定を行う為には他人の評価認識が必要。

 

これがどれだけ、虚しくても。

 

そしてこれが、人間の限界の一つ。

 

 

おわり